志が高い、という言葉がある。

一般的には、良い意味で使われることが多いようだ。

けれど、僕の周囲を観察する場合、どうも違うのではないか、と感じることが多い。

そういう人たちに共通する点として、あまりに志が高すぎる、というものがある。

この場合でいう彼らの「志」は、「目標」と限りなく同義である。

もちろん、彼らの言葉や態度を観察すると、どうもそのようだ、というだけで、明確な定義ではない。

つまり、あまりに遠くて眩しい地点に目標を定めている人が多くて、端から見ていると「おいおい、大丈夫か?」と心配してしまうわけである。

目標は、達成しなくては意味がない。

そうでなくては、その地点を目標と定めた、自分の見込みが甘い。

僕は、この見込みや予測というのが、もの凄く大切な能力だと考えている。

正確な予測のためには、ある程度の客観力が必要だからだ。

これこそ、人間だけが持ち得る能力ではないか。

あなたの周囲にも、人前で壮大な志を語り、いつのまにかフェードアウトしていった人がいないだろうか。

そんな人は、きっと他所の社会で、またべつの志を語っているだろう。

もちろん、否定しているわけではない。

平和で良いな、と思うし、言い続けることで、いつかは達成するだろう。

ただ、効率が悪いな、と思うだけである。

これまでつらつらと目標としての「志」について書いてきたが、本来、志というのは目指す場所へ辿り着きたい、と望む思考のなかに存在するものである。

志はけっして地点ではないのだ。

高みを見上げたときわき起こる純粋な感情。

そこから生まれる滑らかな思考こそ、志なのだと僕は考える。